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help リーダーに追加 RSS 夫婦でつかんだメダル 〜北京パラリンピック〜

<<   作成日時 : 2008/09/22 11:03   >>

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 去る9月6日から9月17日までの12日間に亘り熱き闘いを繰り広げた北京パラリンピック。
 障害を抱えながら人間の限界に挑戦する姿、障害のない部位を最大限に機能させて闘う姿は見る人々に大きな感動を与えた。
 戦う選手の顔には生きる喜びと生かされている喜びがみなぎっていた。

 そして、その陰には数々のドラマがあった。
 その一つが、9月14日に行なわれた陸上男子円盤投げ(車いす)で26メートル21の記録で銅メダルを獲得した大井利江((おおい としえ、60歳、岩手県洋野町種市)選手。
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 陸上選手最年長となる60歳の大江選手が、10年間に亘り練習を補佐し続けた妻・須恵子さん(66)とともにつかんだ銅メダルだったのである。

 この二人のドラマを各メディアの報道内容をもとにまとめ、以下に記録として残しておきたい。


○妻の首に輝く銅メダル
 見事、銅メダルを獲得した大井選手だったが、その口からは涙ながらに意外な言葉が放たれた。「女房に残念だったと報告します」。前回アテネ大会の銀を超える金を目指していただけに悔しさをにじませたのである。
 その後、会場の外で待つ須恵子さんの許に車椅子で駆けつけた大江選手は、須恵子さんに感謝の言葉とともに首に銅メダルをかけ、これまで自分を支えてくれたことへの精一杯の感謝の気持ちを伝えた。須恵子さんは感無量の表情であり、これまでの苦労が吹き飛んだようであった。

 その後、大井選手は記者団に語った。「妻には今回を最後に楽をさせてあげようと思った。でも、先は長くなりそうだ」。
 ここまできたら、金へのこだわりは消えない。60歳のアスリートは早くも「次」を目指したのである。


○遠洋マグロ漁船の船長を目指していた
 東北、三陸海岸の最も北にある漁師町、岩手県種市町。人口1万5千人の静かな町に暮らす大江利江は元遠洋マグロ漁船の漁師だ。
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 しかし、19年前、マグロ漁をしていた北太平洋ミッドウェー沖でしけに遭遇し、荒波に突き上げられた船が大きく傾いたその時、甲板で作業中だった彼の後頭部につり上げていた重さ20キロの漁具が直撃し、頸椎(けいつい)を損傷した。首から下の感覚はなく、下半身はマヒして車椅子生活に。
 妻と子供3人を抱え、「妻も中学のときに足をけがして障害があるけれど、自分の出来ないことをサポートしてくれる。あんまり迷惑かけられないし、何でも一生懸命な姿を見て、落ち込んでばかりいられないと思ってね。」とリハビリのためプールに通った。
 

○円盤投げとの出会い
 障害を持つ人が他にもいることを知り、障害者の水泳大会に参加するようになった。
 「競技を続けることで元気になれる。何もしなければただ年を取っていくだけ」。船長になる夢は失ったが、新たな生きがいを見つけた。
 99年に友人に連れられて陸上の大会に行き、大会役員に「円盤投げをやってみないか」と誘われた。その恵まれた体格に目を付けられた。
 握力もないが、曲げた指に円盤を引っかけて投げる。高校では野球で汗を流し、漁師になってからは重い荷物を運び続けた。体力には自信があった。投げるのは「難しいけどやりがいがあった」と練習を重ねてこつを覚えた。
 そして、初の国際大会出場となった02年アジアオセアニアスポーツ大会で優勝した。
 04年のアテネパラリンピックでは銀メダルを獲得。さらに06年のジャパンパラリンピックでは、26メートル62の世界記録を樹立した。


○妻と二人三脚で励んだ練習
 大井選手の練習を支えたのは、自身も左脚に障害がある須恵子さんだ。中学2年の冬に転んで骨折。2〜3年後に歩けるようになった時には骨がねじれた状態でつながっていた。

 大井選手は週4日、午前8時半に自宅近くの町営運動公園で練習を始める。固定した車椅子から重さ1キロの円盤を投げる。左脚を引きずり半歩ずつしか進めない須恵子さんが拾い、両手で抱えて大井選手に渡す。午前10時まで50回ほど投げ、須恵子さんが拾い続ける。「家内がいないと何もできない。2人で一人前」と感謝する。


○熱投!北京パラリンピック
 そして9月14日、待ちに待った北京パラリンピック陸上男子円盤投げの競技がスタートした。
 固定されたいすに座り、円盤を投げる大井選手。「とにかく気合を入れた」。
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 その力が円盤にうまく伝わったのが3投目。この日のベストの26メートル21を投げ、アテネで敗れたカニンガム(ジャマイカ)を31センチ差で抑えた。当時の優勝記録を約1メートル上回る好記録だった。
 しかし、自己最高に約40センチ届かず、「もっと上に投げていれば……。27メートルを投げたかった」と、ちょっぴり不満も口にした。
 今回から障害が軽いクラスと統合され、アテネで銀だった大井選手はメダル獲得さえ厳しい状況だった。それを乗り越えての銅。金と銀に輝いた2人はかつての軽いクラスに属していて、以前のクラス分けなら大井選手は金だった。それだけに、悔しさが募る。
 「3位に入ったことは自分でもびっくりしています。自分の記録を破りたかったけど、そこまで届かなかった。悔しい思いがある」。海の男は汗をぬぐった。

 20代の選手らと競っての見事な銅メダルだ。大井選手は語った。「競技のおかげで元気になれる。けがをしたのが19年前。だから自分はまだ19歳。金メダルを取ったときが成人式。酒も飲めるしね」。
 かつては1升2升は平気で空けていた酒豪が、アテネパラリンピックの3年前から酒を断っている。パラリンピックで金メダルを取るまでは飲まないと誓ったのである。
 そう語る大井選手の傍らには微笑みながら寄り添う須恵子夫人の姿があった。
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 二人三脚はまだまだ続く。
 4年後のロンドンで、大好きなウイスキーを解禁するつもりだ。

 
 健常者も障害のある人も現在与えられている身体機能には大きな感謝である。
 そしてなにより、生かされていることが大きな感謝だ。
 そのことを考えさせた大会であった。




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