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zoom RSS 即席ラーメンの父・安藤百福さんを偲ぶ

<<   作成日時 : 2007/01/07 17:42   >>

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 即席めんを発明し、世界の食文化に大きな影響を与えた日清食品創業者の安藤百福(あんどう・ももふく)さんが、1月5日に逝去された。享年96歳だった。
 民間のシンクタンクなどの調査では、「日本が20世紀の世界に誇る日本製品」「団塊世代の人生に影響を与えたもの」の1位がインスタントラーメンだ。
 今日は、安藤さんの偉大なる功績を称え、さまざまな情報を基に、紙面を拡張してその生涯を振り返りたい。

 お断り:長文なので、時間の余裕がある時にでもお読みください。以下、敬称略。

●市場拡大を続けるインスタントラーメン 
 日本即席食品工業協会による2005年のデータは、つぎのとおり。
 国内で発売されたインスタントラーメンの銘柄はカップめんを含め983。国内の生産量は54億食。国民1人あたり約42食も腹に入れた勘定だ。世界にも広がり、44カ国・地域で857億食出た。

 これだけ広がった理由を国立民族学博物館の石毛直道元館長は、「カップめんの発明で容器が食器になり、おわんのない地にも広がった。めんは絵のキャンバスのようだ。韓国ではトウガラシ、インドではカレー味など、それぞれの食文化を乗せる乗り物となった。日本の味を押しつけないことが成功につながった」と語る。


●エピソード
 南米ペルーの日本大使公邸が左翼ゲリラに占拠されたのは、1996年12月。その時、赤十字が差し入れた食料の中に、インスタントのカップめんがあった。
 20歳の女性ゲリラが「こんなおいしいものを食べたことがない。家族に食べさせたい」と、手投げ弾を入れたリュックに入るだけ詰めこんだ。と、人質となった当時の1等書記官が語っていた。


●テレビドラマのモデルになる
 2003年度下半期に放送したNHK連続テレビ小説「てるてる家族」の中で、安藤百福がモデルの安西千吉(中村梅雀 )、通称千吉博士が登場している。
 原作は、大阪府池田市栄町商店街を舞台に、なかにし礼の妻・石田由利子(芸名 石田ゆり)とその家族をモデルにした小説「てるてる坊主の照子さん」。女優・石原さとみの出世作でもある
 ドラマの中では、「人類は麺類」が口癖の千吉博士が、来る日も来る日も即席ラーメン開発に没頭すしている姿が映し出されていた。


●ニューヨーク・タイムズが安藤百福さんの功績を称賛  (2007年1月11日追記)
 ニューヨーク・タイムズは、1月9日付の社説で安藤百福さんを称える記事を掲載した。
 「ミスター・ヌードル」と題した社説は、「感謝」の文字を囲んだ月桂冠のイラスト付きで業績を称賛。
 「ホンダのシビックやソニーのウォークマン、(サンリオの)ハローキティ」のようなチームによる開発と異なり、安藤さんは独力で「労働者階級のための安くて、きちんとした食べ物」を追求したとした。
 「魚を取ることを教えよ、その人を一生食わせられる。即席めんを与えよ、何も教えなくてすむ」。そうつづった社説は、即席めんは安藤さんに「人類の進歩の殿堂における永久の座をもたらした」と総括した。


●歴史的な出来事の誕生を振り返る
 1.チキンラーメンの誕生
 安藤は、戦後の焼け跡で寒風にふるえながらラーメンの屋台に並ぶ長い行列を見て、食を一生の仕事にしようと考えた「一杯のラーメンのために、人々はこんなにも努力するものか」。

 理事長をした信用組合が不渡りを出して財産を失った後のこと。自宅の小屋の40ワットの裸電球の下、睡眠4時間で1日も休まず1年かけて開発した。
 “おいしく、保存がきき、簡便に食せて、安価・安全な”めん開発の試行錯誤の日々が始まった。
  ある時、奥さんがてんぷらを揚げているのを見て閃くものがあった。「油で揚げれば水分がとんで保存性がよくなるのではないか」。『瞬間油熱乾燥法』の発見だった。 めんを油で揚げると、めんの内部から水分が蒸発し、細かい穴のあいた多孔質になる。
 熱湯を注ぐと多孔質部に湯がしみこんで短時間に元に戻るが、これだけではおいしいラーメンにはならない。
 ワンタッチでお湯をかけるだけで食べられる究極のラーメンは、スープをめんにしみ込ませる点にあった。
 めんにスープを練り込んだり、着味をしたり、多くの実験をくり返して、着味の方がいいとの結論に到達するまでには、多くの課題を克服する必要があった。
 スープの塩分が強すぎると、めんがボロボロになる。安定した品質のチキンエキスの抽出や配合するスパイスの種類や醤油とチキンエキスの配合比率。
 これらを一つ一つ手作業で確認していく気の遠くなるような実験が繰り返された。こうして試作品は完成した。
 世界初の即席麺「チキンラーメン」の発明が完成したのである。
 工場は倉庫を借りた。手作業で蒸し、天日に干し、油で揚げて袋詰めにするまさに家内工業であった。

  発売は1958年(昭和33年)8月25日。最初、問屋筋は「35円は高い。うどん玉なら6円もしない」と冷淡だった。
 しかし、安藤はゆるがない。味に絶対の自信があったからだ。新商品は新しい方法で売る、現金売りに徹してあくまで強気を貫いた。
 やがて、木津の中谷商店が第一号の取引先となり、宣伝・試食販売にも熱が入った。
  それが大ヒットの前兆だった。「お湯をかけるだけの魔法のようなラーメンはないか」という電話が問屋に続々とかかるようになったのだ。
 どんぶりに入れて湯を注ぐだけでおいしく食べられる簡便な食品は、瞬く間に人気商品となった。
 問屋がトラックで工場に乗り付けて争うように仕入れていくので、たちまち品不足になった。現金先納で予約する問屋さえ出てきた。
 創業時は従業員20人で日産30食入300ケースだったが、半年後には従業員を200人に増やしても注文に応じ切れなかったのである。
 この年12月、商号を日清食品株式会社とした。

 その小屋が、安藤の故郷、大阪府池田市の「インスタントラーメン発明記念館」(1999年11月21日オープン)に復元されている。
 手製のめん揚げ器などのほか壁際に粗末な椅子が一つ。ソファはない。ほとんど立ちずくめで研究に没頭したのだろう。
 下の写真は、「チキンラーメン」が誕生した研究小屋の内部(復元)。
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 わずか6畳ほどの広さに、中古の製めん機とどこの家庭にもあるような材料や道具が並んでいる。

 戦後の混乱の中から「食」の大切さに着目し、自宅裏の粗末な小屋で発明された「チキンラーメン」。
 それから48年有余を経た。今では、インスタントラーメンは、世界の人々に愛される国際食になっている。


 2.国際食「カップヌードル」の誕生
 安藤は、 「おいしさに国境はない。インスタントラーメンは“国際食”になる」と開発当初から思っていた。
 米国へのサンプル出荷でその思いは確信に変わった。しかし、丼と箸のない国にどう売るか苦慮していた。
 ヒントは1966年(昭和41年)の欧米視察の時に訪れる。スーパーの店員がチキンラーメンを二つ折りにして紙コップで作るのを見て、カップ麺の発想が生まれたのである。
 さらに、帰路の飛行機で供されたマカデミアンナッツのヒートシール(熱溶着)したアルミの上ぶたは、カップヌードルのふたの密封性を思いつく上で大きなヒントになった。
 
 早速、カップめんの開発が始まった。容器には保温性に優れた発泡スチロールを採用した。 中身も新しい発想が必要だった。袋めんに比べてカップめんは厚い塊になるので、中まで均一に揚げるのは難しい。これは、上部を密にして下部を疎にするめん構造で解決した。
 フリーズドライのエビや卵の採用も斬新だった。こうして、1971年9月18日に世界初のカップ麺「日清カップヌードル」を発売。
 そして、アメリカを皮切りとして、フィリピン、英国、ブラジル、シンガポール、香港、韓国と技術供与先や合弁事業先が次々と生まれ、インスタントラーメンは、文字通り「国際食」となっていったのである。
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 3.宇宙食ラーメンの誕生
 2001年に、宇宙食ラーメンの開発に着手。
 2005年、宇宙飛行士、野口聡一さんが搭乗したアメリカのペースシャトル「ディスカバリー」に持ち込まれた。
 安藤は、「対立する国の人とも、同じ宇宙空間でラーメンを食べられるなんて夢がある」と喜んでいた。
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●安藤百福の生涯を振り返る
 1910(明治43)年 3月 5日、日本統治時代の台湾嘉義市付近の樸仔脚(今朴子市)に生を享ける。
 両親を幼少期に亡くし、繊維問屋を経営する祖父母のもと、台南市で育った。
 1932年、22歳のとき父の遺産を元手に繊維会社東洋莫大小(とうようメリヤス)を設立した。 当時、メリヤスを扱う商社はまれであり、事業の拡大により翌1933年には大阪市で日東商会を設立した。
 安藤は、メリヤス貿易から光学機器や精密機械の製造にも事業を拡大する一方、立命館大学専門部経済学科に学んだ。

 第二次世界大戦では、空襲によって事務所や工場を失ったが、事業を再開し、百貨店経営や食品事業に乗り出す。

 1948年に中交総社(のちサンシー殖産、現在の日清食品)を設立し、大阪府南部で、海岸に鉄板を並べ、海水を流して塩を製造する独特な仕方で製塩事業を行った。

 なお、この時国籍を中華民国としているが、これは在日華人であった方が何かと都合が良かったためであり、元々は台湾生まれであっただけで生粋の日本人である[要出典](後に正式に帰化)。

 当時、アメリカから送られた援助物資の小麦粉からパンを製造し、パン食を奨励する運動を厚生省(現厚生労働省)が行っていた。
 安藤はこのパン食奨励に不満を持ち、東洋文化であるめん類を粉食奨励の一環として取り上げないのはなぜか、厚生省職員に質問した。職員からは、麺類製造には零細業者が多く、供給体制に問題があることが指摘され、自分でやったらどうかと突き放された。
 後にインスタントラーメンで製めん業界屈指の存在となる安藤であるが、このときは既存事業から手を広げる余裕はなく、話のみに終わった。

 安藤は、ある信用組合から懇願され、その理事長に就任した。
 しかし1957年この信用組合が倒産し、無限責任を負っていた理事長の安藤は本体の事業を手放して負債を弁済することになり、大阪府池田市の自宅だけが安藤のもとに残った。

 安藤は自邸の庭に建てた小屋でインスタントラーメンの研究を始め、1958年8月25日チキンラーメンを商品化することに成功。
 どんぶりに入れて湯を注ぐだけでおいしく食べられる簡便な食品は、瞬く間に人気商品となった。
 同年12月、会社の商号を日清食品株式会社に変更。会社の事業は順調に拡大した。信用組合倒産の際の借金返済の苦労を教訓として、安藤は無借金経営を社是とした。

 1963年、日清食品は東京証券取引所2部および大阪証券取引所2部へ上場するに到った。

 チキンラーメンの好評を見て、追随する業者が多く出た。とくに粗悪品や模造品の懸念から、安藤はチキンラーメンの商標や特許を申請・登録し、社の信用を守ることに努めた。
 日清食品は1961年にチキンラーメンを商標登録し、翌1962年には即席ラーメンの製造法の特許を得る。この際、113社が警告を受けた。
 類似商法を看過しない姿勢を打ち出した安藤であったが、1964年には一社独占をやめ、日本ラーメン工業協会を設立し、製法特許権を公開・譲渡した。

 安藤はアメリカ進出を考えるが、1966年の渡米時、どんぶりという食器がアメリカにはないことに苦慮していたところ、スーパーの店員がチキンラーメンを二つ折りにして紙コップで作るのを見て、カップ麺の発想が生まれた。
 こうして、1971年9月18日に世界初のカップ麺「日清カップヌードル」を発売。日清カップヌードルはアメリカ合衆国を皮切りとして、日本国外にも販路を広げていった。

 1981年、社長の座を譲り、以来日清食品会長に就任。

 1999年、彼の業績を記念したラーメンの博物館インスタントラーメン発明記念館が池田市にオープン(6年半余り後の2006年7月28日に入場者100万人を達成した)。

 2001年、宇宙食ラーメンの開発に着手。

 2005年、宇宙飛行士、野口聡一さんが搭乗したアメリカ合衆国スペースシャトル「ディスカバリー」に持ち込まれた。「対立する国の人とも、同じ宇宙空間でラーメンを食べられるなんて夢がある」と喜んでいた。

 2005年6月(95歳)、「日清食品には若い経営陣が育っており、経営を任せることに不安はない。私がまだ元気なうちに引き継がせたい」という理由から、6月29日で取締役を退任し創業者会長に就任した。

 2007年1月5日、急性心筋梗塞のため大阪府池田市の市立池田病院で死去。96歳だった。2日には幹部社員とゴルフを楽しみ、亡くなる前日の4日には仕事始めで約30分の訓辞を行い社員らを激励、昼休みには社員と餅入りのチキンラーメンを食べたという。

 長寿・健康の秘訣は週1回のゴルフと毎日欠かさず食べるチキンラーメンであったという。
(出所:ウィキペディア フリー百科事典)
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●少年少女に対する安藤の思い
 安藤は、昭和58年に自社株450万株と現金5,000万円(後に25万株、2億5,000万円を追加)の私財を投じて「日清スポーツ振興財団」を設立した。
 スポーツやキャンプを通じて“健やかな子供”の育成にあたるだけでなく、高校大学生を対象にした奨学金制度も実施している。
 さらに、阪神淡路大震災に際しては、別途1億円をNHK厚生文化事業団に寄託、保護者を亡くした子供たちのため、奨学金制度を発足させた。


●安藤百福が掲げる3つの企業理念        (出所:日清食品潟zームページ)
 食足世平(しょくそくせへい)
 食は人間にとって何より大切なものです。食がなければ、私たちは自らの生命を維持するができません。芸術、文化、思想…すべては食が足りてこそ語れるものです。
 戦後、寒風の中、一杯のラーメンを求めてラーメン屋の屋台にできた長蛇の列。この光景こそ「チキンラーメン」を開発する原風景になりました。
 「食が足りてこそ世の中が平和になる」日清食品の事業は人間の根源から出発しています。

 美健賢食(びけんけんしょく)
 空腹を満たすことと、味覚を満足させること。 食に求められているのは、それだけではないと考えています。
 医食同源という言葉にあるように、美しい体をつくり、健康を維持することも食のもつ大きな機能です。
 「美しく健康な体は賢い食生活から」いつまでも健康であり続けるための機能性に富んだ食品開発も、また日清食品が取り組む重要な課題です。

 食創為世(しょくそういせい)
 企業にとって最も大切なものは、創造的精神であると考えます。独自の製品を生み、世の中に新しい文化を創り出すことこそが、 企業の究極の目標です。
 単なるモノであることを超えひとつの文化として受け入れられる商品を生み出すことは、利益だけを求める姿勢からは 生まれません。
 「食をつくり世のためにつくす」日清食品は、あらゆることに高い感性を持ちながら、地球社会に貢献する食品創造を目指します。



●2007年1月4日に社員の前で30分間話した年頭所感   (出所:日清食品潟zームページ)
 企業在人 成業在天
 企業は人にある、とよく言われるが、人とは単なる人ではない。世の中にない独創的なことを考え、計画し、それを達成できる人。すなわち「人の中の人」である。経営者も同じである。
 世の中はどんな人がやっているのか、どんな実績があるのかと聞く。人に対する評価が、そのまま企業の評価につながる。人の仕事にこれで十分ということはない。下を見て安心してはいけない。必ず上には上があるものである。

 業を企てるのは人であるが、一方で、業を成すは天にある。
 目標に向かって仕事に打ち込み、九分九厘まで来たとしよう。そこで行き詰まり、成功まであと一歩というところで転ぶこともある。事が成らないとき、人はいろいろと思い悩むが、それは「神様がだめといっているのだ」と考えればよい。
 運を天にまかすという意味ではない。成業とは、大衆の声が空気の波動となって広がってゆき、天に通じたとき、はじめて大きな評価として返ってくるものである。大衆の声こそ神の声であり、天を動かすことができる。
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●麺に関する主な出来事 (抜粋)
1948年 9月 中交総社設立(資本金)500万円
1958年 8月 世界初のインスタントラーメン 「チキンラーメン」発売 (35円)
     12月 日清食品に商号変更
1963年 7月 「日清焼そば」発売
     10月 東京・大阪証券取引所第2部に株式上場
1968年 2月 「出前一丁」発売
1970年 7月 アメリカ日清設立
1971年 9月 「カップヌードル」発売 (100円)
1972年 8月 東京・大阪・名古屋各証券取引所第1部に昇格上場
1973年 9月 滋賀工場及び総合研究所(現 中央研究所・栗東)竣工
1975年 11月 ブラジル日清設立
1976年   5月 「日清焼そばU.F.O」発売
      8月 「日清のどん兵衛きつね」発売
1980年 3月 年間売上1000億円達成
1983年 1月 チルド事業(生めん)に進出
      3月 安藤百福、日清スポーツ振興財団を設立
1986年 6月 冷凍事業(冷凍めん)に進出
1987年 7月 AFDC社(インド)に資本参加
      8月 チルド「日清のラーメン屋さん」発売
1988年 3月 東京本社ビル竣工、スナック菓子市場に進出
1990年 7月 (株)ヨーク本社(乳製品メーカー・現 日清ヨーク)日清グループ参加
1991年 1月 (ピギー食品(株)(冷凍食品メーカー・現 日清冷凍食品)日清グループ参加
      2月 シスコ(株)(菓子メーカー・現 日清シスコ)日清グループ参加
1992年 9月 生タイプ即席めん「日清ラ王」発売
1993年 3月 年間売上2000億円達成
1995年 2月 「日清Spa王」発売
1996年 9月 チルド「行列のできる店のラーメン」発売
1999年 11月 インスタントラーメン発明記念館竣工
2000年 1月 「行列のできる店のラーメン」発売
      3月 「日清名店仕込み すみれ一風堂」発売
      4月 オンラインショップ「日清e-めんShop」オープン
2002年 6月 食品安全研究所新設
      10月 「日清具多」発売
2003年 8月 チキンラーメン発売45周年、カップヌードル全世界販売累計200億食達成
     11月 「麺翁百福亭」オープン
2004年 11月 「インスタントラーメン発明記念館」拡張新築オープン
2005年 7月 世界初の宇宙食ラーメン「スペース・ラム」がスペースシャトルに搭載され宇宙へ

●受賞・栄誉
1977(昭和52)年 4月 藍綬褒章
1981(昭和56)年 10月 「名誉市民」称号(米国ロサンゼルス市)
1982(昭和57)年 11月 勲二等瑞宝章
1982(昭和57)年 12月 大阪発明大賞((社)発明協会)
1983(昭和58)年 4月 紺綬褒章
1983(昭和58)年 10月 グラン・クルス勲章(ブラジル政府)
1992(平成 4)年 4月 科学技術庁長官賞「功労者賞」(科学技術庁)
1993(平成 5)年 11月 農業試験研究一世紀記念会「会長賞」(農林水産省)
1994(平成 6)年 1月 「館友」称号((学)立命館)
1999(平成11)年 11月 名誉市民賞(大阪府池田市)
2001(平成13)年 9月 ディレクナポン勲章(タイ王国)
2002(平成14)年 4月 勲二等旭日重光章
2003(平成15)年 8月 秩父宮章((財)日本陸上競技連盟)

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●著 書
「日本の味探訪 食足世平」 (講談社)
「日本の味探訪 食足世平(続)」 (講談社)
「麺ロードを行く」 (講談社)
「食の未来を考える」 (日清食品)
「新和風薬膳のすすめ 美健賢食」 (フーディアム・コミュニケーション)
「時代に学ぶ 美健賢食」 (フーディアム・コミュニケーション)
「日本めん百景」 (フーディアム・コミュニケーション)
「激変の時代を生きる 苦境からの脱出」 (フーディアム・コミュニケーション)
「文化麺類学 麺談」 (フーディアム・コミュニケーション)
「進化する麺食文化」 (フーディアム・コミュニケーション)
「食は時代とともに」 (旭屋出版)
「魔法のラーメン発明物語」 (日本経済新聞社)
「100歳を元気に生きる 安藤百福の賢食紀行」 (中央公論新社)
「食欲礼賛」 (PHP研究所)









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