荒木由美子、湯原昌幸の母を20年間介護した愛と感動の記録

 
 最近知ったことですが、かつてのアイドルスターで現在タレントの荒木由美子さんは、湯原昌幸さんのお母さんを20年間に亘って介護され看取られていたのです。
 テレビの旅番組などで見せる表情でわかるように、涙もろくて優しい性格の荒木さんですが、先が見えない厳しいつらさのある介護を乗り越えてこられたのでした。
 私は、荒木さんが、夫や息子さんとともに認知症の姑を見守り看取られた、暖かい話に感動しました。大きな愛があったからこそできたことだと思います。

 今日は荒木由美子さんの誕生日なので、荒木さんのこれまでのご苦労に少しでも報いられるように、私のブログに記録として残しておくことにします。

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●荒木さんのこれまでの生き様を振り返る ~認知症の姑を20年間介護した壮絶な記録~
 荒木さんは、1960年(昭和35年)1月25日生まれ。佐賀県出身。
 1976年(昭和51年)、第1回ホリプロタレントスカウトキャラバンにて審査員特別賞を受賞し、16歳で芸能界にデビューした。
 デビュー曲は「渚でクロス」。その後、「燃えろアタック」「それは秘密です」などの多数のレギュラー番組を持ち、活躍。
 
 1983年、23歳の時に13歳年上のタレント湯原昌幸さんと電撃結婚し、芸能界を引退した。 母一人、子一人の湯原さんとの結婚は、当然、姑・吉の(よしの)さんとの同居生活だったが、若い嫁を孫のように可愛がってくれる姑と夫と3人で幸せな結婚生活が送れると信じていた。

 しかし、結婚して2週間後に姑は糖尿病で入院。
 結婚生活はそのまま介護の毎日となり、甘い新婚生活の代わりに訪れたのは、激動の日々だった。それから長い長い荒木さんの介護生活が始まったのです。
 そして、結婚1年後には息子が誕生し、育児と介護が同時進行することとなる。

 5年後の1988年、息子が幼稚園児になった頃、成人病で入退院を繰り返していた姑の認知症が発覚した。
 姑の介護は主に荒木さんが担当するが、認知症の症状は日に日に悪化していった。
孫を見ても、『由美子さんが若い男を連れこんだ』と騒ぐ姑。荒木さんはストレスで髪が抜け、手の震えが止まらなくなったそうだ。

 湯原さんも、仕事場では笑顔であるが心労が隠し切れない日々が続く。
帰宅すれば「生き地獄」・「壮絶」という言葉しか当てはまらないほど、認知症は悪化していた。
あまりの症状の悪化で、精神的に滅入っていた湯原が吉のさんの首に手をかけるところまでいくが、荒木さんの悲痛な叫びによって最悪の事態を免れる。(荒木さん談)

 自宅での介護を諦めて、荒木さんが姑を連れて紹介された介護施設を訪れるが、そこは精神科の施設で、窓に鉄格子が取り付けられている施設だった。
さすがの荒木さんも「あまりに可哀想・・・」と、姑を連れて自宅へ戻る。
 
 その後、姑は病院に入院することになるが、転院のたびに病状は悪化。認知症との壮絶な闘いは14年間続くこととなる。

 その間、湯原さんは荒木さんに対し、常に「由美ちゃん、ありがとう」「悪いね」といった感謝の言葉を欠かさなかった。

 そして2003年1月、姑は急性白血病により86歳で大往生を遂げた。
姑が意識をなくす3日前には認知症であるとは思えないほど、荒木さんに感謝の言葉をかけ、長男にも「昌幸にそっくり」などと、まもなく訪れる最期を知らせるかのように、湯原夫妻と長男の3人にやさしい言葉を残した。
 姑が他界したことで、結婚して2週間後から始まった湯原夫妻の壮絶な20年間の介護生活は幕を閉じた。

 荒木さんは姑の他界で生きる気力を一時失うが、2004年に姑の20年間に亘る壮絶な介護生活を執筆した「覚悟の介護」の発表を機に、20年ぶりに芸能界へ復帰した。

 「妻として、嫁として、母として」いい点数をとろうと頑張った「テスト」を終えた今、荒木さんは、「これから自分の人生を充実させたい」と語っている。

 子どもが成人してからも、湯原さんと荒木さんとの二人の絆はますます強まり、どこへ行くのも一緒のオシドリ夫婦ぶりは良く知られている。夫婦での旅番組の出演も多数ある。
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●20年間の介護を振り返る、荒木さんの手記(2006年7月31日)
 夕刊フジにも掲載された「湯原昌幸と荒木由美子夫妻の交換日記」には、次のように書かれていた。
 
 前回のあなたの書簡を読んで、何度も涙した。
 お義母さんとの20年間(の介護)を通して「人はどんなことがあっても必死に生き抜いて、死んでいく」ことを学んだつもりでいた。
 でも改めて、私が嫁ぐまでの、妻として母として女性としてのお義母さんの一生を思い、年を重ねた顔を思い浮かべて、胸がしめつけられたの。
 結婚する時には、すべてを信じ、未来に向かって幸せになりたかったはずなのに。お義父さんとの結婚生活で、女性問題を含め、たくさんの悩みをかかえて、どんな思いで毎日を暮らし、生活していたのかしらって。
 でもね、どんなことがあっても、あなたを授って母親になれたことは、何よりの宝だっただろうし、支えだったと思う。
 結婚前に、あなたから少しだけ聞いていた、お義母さんの波瀾万丈の人生。私が嫁いでからは、幸福にひたって欲しい、って心から思った。
 同居することになった時、本当に嬉しそうで。今まで「昌幸、昌幸」だったのが「一に由美ちゃん、二に由美ちゃん」になって、そんな生活を楽しんでくれていた。
 
 なのに、今度は数々の病気が邪魔をする。
 その中でも、認知症とは長い闘いだった。前回あなたが言っていたように、若い頃の心の傷(トラウマ)こそが、すべて症状となって出た。
“人間の思い”というものは、ここまで引きずってしまうものなの? って考えさせられた。
 
 在宅介護の最後の頃、大好きだった由美ちゃんが“可愛さあまって憎さ百倍”で、敵になってしまったのか、私に対しての暴言がエスカレートした時期があった。
 施設にお世話になってからは、とても穏やかで、私にまた甘えられるようになって、時々、由美ちゃんではなく「母ちゃん」と呼ぶようにもなっていたけれど。
 義母は7人兄弟の長女。きっと、親に甘えたことなんかなかったんじゃないかな。「下の弟妹たちみんな、おぶって子守りした」ってよく言っていた。背中が空いている時はなかったって。
 そんな人生の最後に、やっと甘えることができたのかもしれない。そう思うと、今でも目頭が熱くなる。
 私に、いつも傍にいて欲しくて、手を握ってて欲しくて、施設から帰ろうとすると、この世の別れのように寂しがって。

 息をひきとる3カ月前、施設のみんなで、横浜の山下公園にドライブ゙に出かけた。
お弁当を食べるとき、お義母さんはまるで幼稚園の子供のように「おいしい、おいしい」って笑ってたっけ。
 それから2カ月後、白血病であることが判明。施設から病院へ移った。お正月を病院で迎え、1月5日、病状が急変。不思議なことが起こった。
 昏睡状態に入る前に、私のおでこや頬を撫でて「ありがとう。こんな私を看てくれて。これからの由美ちゃんに、悪いことは一つもないからね」って言ってくれた。
 「長い間の、私の認知症との闘いを、見ててくれたんだ。感じてくれてたんだ」という思いで、嬉しくて号泣した。

 翌日、意識がなくなった。最期は本当に穏やかで。お義母さんと初めて会った65歳の時の顔に戻っていた。
 「よかった。やり遂げられた」
 家族みんな、本当によく頑張った。
 亡くなって2年半が過ぎ、家族の応援があって、仕事を再開。結婚24年目にしてやっと今年11月、新婚旅行にも行ける。
「いい年して」って笑う人がいるかもしれない。でも、いいの。だって私たちの人生だもの。夫婦の新しい時間がまたこれから始まる。楽しみにしているからね!



●湯原昌幸、荒木由美子24年目の新婚旅行
 湯原昌幸・荒木由美子夫妻が、結婚24年目の2006年11月にオーストラリアのパースに新婚旅行をした。

 前述したとおり、2人は83年に結婚。直後に湯原さんの母親が病魔に倒れ、挙式はしたものの、新婚旅行に行けない状態が約20年続いた。
 姑は03年に死去し、一人息子も成人したことから、お預けになっていた新婚旅行を決めた。
 出発前に湯原さんが、「約20年前にテレビドラマの収録で行ったパースの素晴らしい景色をいつか由美子に見せたかった。それがやっと叶う」と説明すると、荒木さんは「夢のようです」と目を潤ませた。
 出発は11月22日の「良い夫婦の日」を選んだ。



●荒木さんは、著書「覚悟の介護」(ぶんか社)を2004年3月24日に出版。
 この本には、姑を介護した20年間の壮絶な日々や荒木自身が不治の病の疑いを受けたことで、「死」「家族」「夫婦」について改めて見つめ直したことなどが嘘偽りなく書き綴られている。
 
 その中には、次のような言葉もある。
“湯原の母と血はつながっていないけれど、一人の女性として人間としてすべての姿をみせてもらった気がする”
 “義母を二十年介護している間、私が一番欲しかったのは「私の話を聞いてくれる相手と時間」だった。”
 
 そして、エピローグには、次に掲げる由美子流「覚悟の介護」十箇条がまとめられている。
 1. 腹をくくる
 2. 泣いても怒らない
 3. 「私は負けない!」
 4. たくさんのチャンネルを持つ
 5. 持つプライド、捨てるプライド
 6. 相手に期待しすぎない
 7. 誰かのために生きる
 8. タイミングをみはからう
 9. 「ありがとう」「ごめんなさい」を言葉にする
 10. 「うれしさ、ありがたさ」
 
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 荒木さん、長い間お疲れ様でした、これからはご自分の人生をエンジョイしてください。 





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この記事へのコメント

さぶちゃん
2011年02月26日 22:17
湯原さん荒木さんご夫妻、ご苦労様でした。
看護にはただただ頭が下がり続けました。
今後のご家族にとって、必ず良い事があります。
こんなにがんばったのですから。
ロンこっこ
2012年10月26日 20:53
記念講演を聞き感動ありがとう・・・・茨城県社会福祉大会平成24年10月26日
里(さと) 慎一郎(もう51歳過ぎました…。)
2014年03月09日 22:44
奥さんの由美子さん、 まじめな話、感動もの、胸がつまっていまいます。
ザ・スウィング・ウエスト(GS期)からずっと活躍してこられた、湯原昌幸さん。
由美子さんのおかげでしょう。場所こそちがうものの、僕は、由美子さんと同じ県の生まれで、
(介護が、いまや一般的でも)たいへん誇らしい。ご夫婦、ぜひとも、これからもお元気で。
湯原さん、3月5日が誕生日ですか?おめでとうございました。
やまちゃん
2014年06月11日 06:38
いつも明るかった由美子さん。陰でこんなに大変な人生だったとは微塵も見せず素晴らしい方だと思います。と同時に湯原さんの由美子さんへのサポートがあったからこそだと思うのです。今後は夫婦二人で第二の人生謳歌して欲しいと思います。芸能活動も期待しております。

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