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zoom RSS 名曲はこうして生まれた 〜二泉映月〜

<<   作成日時 : 2009/06/28 11:08   >>

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 1978(昭和53)年、指揮者の小澤征爾が中国を訪問した際、姜建華(現:北京中央音楽学院教授)の演奏する「二泉映月」に深く感動し、タングルウッド音楽祭に彼女をソリストとして招いたことから、「二泉映月」は一躍世界に知られることとなった。

 「二泉映月(中国語の読み=ER QUAN YING YUE)」は、阿炳(あーびん)の名で知られる紅蘇省無錫出身の盲目の大道芸人・華彦釣(1893年〜1950年)が作曲した、聴く人を惹きつけ心を揺さぶる感動的な曲である。
 二胡曲の最高傑作の一つとされ、ほとんどの中国人に知られている名曲中の名曲で、二胡を独奏楽器として高めた不朽の名作である。そして、中国音楽資料中、最も貴重な遺産だとも言われている。

 無錫市街地の西に、恵山と錫山の二つの山に沿って広がる公園「錫惠公園がある(写真)。
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 ここには茶道の祖といわれ「唐代の茶神」と呼ばれた文人・陸羽により「天下第二泉」と名付けられた名泉がある。
 「二泉映月」は、阿炳が若い頃に見たこの清らかな泉の水面に煌々と映った月と、自らの人生を思い出しながら作った曲なのである。
 自らが舐めてきた人生の辛酸への憤り、未来への憧れ、その想いを二本の弦と一本の弓に託して、語るように・訴えるように演奏する曲である。
 心に思うがままに過去の記憶に投影させて奏でたので、元の曲名は『依心曲』だった。
 しかし、あまりにも美しい曲なので、改名を薦められて現在の曲名である「二泉映月」に改めたという。



○「二泉映月」はこうして生まれた 
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 阿炳(元名は華彦鈞)は1893年、中国紅蘇省無錫に生まれた。父親の華清和は道士であり、道教の音楽が得意だった。
 不義の子という暗い生い立ちの中で育った彼は、4歳で母を亡くし、叔母に育てられた。
 8歳から父のもとで小道士になる。そして、私塾で約3年間音楽の勉強をし、父に鼓、笛、二胡や琵琶などの楽器を教わった。
 幼い頃から音楽好きだった彼は楽器の練習に没頭した。そして、18歳の時には無錫の道教音楽界で「演奏名手」と呼ばれていた。
 25歳の時に父が亡くなり、阿炳は雷尊殿の当家道長になり道士たちと共に仕事に励んだ。
 しかし、その後、悪友の誘いに乗って、麻薬を吸ったり、ふしだらな生活を続けたため、31歳で両目とも完全に視力を失ってしまった。
 道士としての仕事ができなくなった阿炳は生計を立てるため、二胡と琵琶を背負って、街頭に繰り出した。
 苦しい境遇の中、民間芸人として街頭で自作の曲を演奏し、歌を唄って生計を立てたのだが、その暮らしは決して楽ではなかった。

 40歳を過ぎた阿炳は未亡人の董催弟と同居を始めた。
 毎日午後になるとは阿炳は無錫の崇安寺一角で歌を唄い、夜は街中を回って二胡を弾きながら歌を唄った。
 無錫の穏やかな夕暮れ時、人々が家に帰り家族団欒の中で暖かな夕食を囲む頃、阿炳はひとり街角をさまよい、彼が昔その目で見た美しい景色を思い出し、心のままに二胡を奏でた。その曲が彼がこの時期に作曲した「二泉映月」である。
 ただ美しいだけでなく、深い哀しみを湛えたメロディーは、泉に映る月とともに、彼の当時のやりきれない心境をも映し出していたのであろう。
 夕餉の賑やかなひと時が終わり、夜の静けさが訪れる頃、無錫の人たちは、風に乗って聞こえる哀しい調べに耳を傾けたというエピソードが残っている。
 彼は街頭芸人として生活を送ったが、地元では人気が高かったという。

 1945年、第二次世界大戦が終結するが、治安は悪化し、阿炳もさまざまな苦渋をなめた。
 さらに、阿炳は国民党政府によりアヘン禁止の名目でアヘン患者収容所に送り込まれ、2ヵ月間拘留された。
 このような事が阿炳の心を打ち砕き、1948年には彼の芸人生活に終止符を打たせたのである。

 1950年夏、57歳となった阿炳は肺結核でやつれており、2年もの間、二胡を弾いていなかった。
 そんな中、彼の偉大な音楽家としての存在を知った天津市内の中央音楽学院(後に北京市に移転)の教授たちが無錫市に彼を訪ねてきて、阿炳が演奏する自作曲を録音させてほしいと懇願した。
 阿炳は久しぶりに二胡と琵琶を抱えて街に出て3日間ほど練習した。
 そして、阿炳の演奏する「二泉映月」を始め琵琶の曲を含めた6曲が録音されたのである。

 二胡と琵琶の演奏者であり同時に作曲家でもある阿炳は、生涯で二胡と琵琶の作品を200曲あまり作曲したとされている。
 しかしながら、現在楽譜として残っているのは、この時に録音した二胡の曲「二泉映月」「聴松」「寒春風曲」と琵琶の曲「大浪淘沙」「昭君出塞」「龍船」の6曲だけである。
 これらは中国民族音楽の中でも特に貴重な遺産となっているのである。

 同年10月、天津放送局で放送した阿炳の演奏は大きな反響を呼び、これが新聞で報道されると一躍「時の人」となった。
 これにより、阿炳は無錫市の有名ホテルに招かれて演奏することとなった。これが彼にとって最初で最後のステージでの演奏となり、彼は生涯最後となる「二泉映月」の演奏を行なったのである。演奏が終わった時、満員の観衆から湧き上がった拍手は鳴り止まなかった。

 阿炳はこの年の暮れ、57歳であの世へと旅立ったのである。自作の曲が後世に残ることを確認した後、神様から与えられた天職を全うしたかのように・・・。

 そして、それから28年後の1978年、(冒頭に記述したように)「二泉映月」は一躍世界に知られることとなったのである。


 世の中の辛酸を嘗め尽くし貧乏な生活を送る中、音楽の追求をあくまで続けて、劇的な生涯を送った阿炳。
 だからこそ、彼ならではの音楽スタイルが生み出され、「二泉映月」が誕生したのであった。



  資料出所:「阿炳略伝」(黎松寿、張共著)、「阿炳小傳」(楊蔭劉著)ほか 
 



○「二泉映月」の各段に込められた阿炳の思い
 曲の第一段は、(ため息をつきながら)今日も二胡で生活しなければならない、との思いで歩を進めながら二胡を奏でるシーンから始まる。そのまま第二段まで進む。注)阿炳は立式で二胡を演奏していた。
 第三段は、世間への闘争心を強く、激しく表現しており、弦のポジションも最高音部の第4ポジションで奏でる。そして、第4ポジションから一気に第1ポジションの最低音に移動して、現実の世界へと入っていく。
 第四段(最終章)は、将来の夢を語るシーンを表現しており、ゆったりしたテンポで奏でる。
 全体を通してテンポの変化は少ないが、力の変化の幅をもたせる。

 この曲は、恵まれない一生を過ごした阿炳が泉に映る名月の情景に託して、自らの境遇を嘆きながらも、それを打ち破らんとする意志や希望を見事に表現しているのである。

 阿炳の強い思いが込められた「二泉映月」は、
“髪の毛一本の音の狂いも許されない難度の高いもので、練習に練習を重ねた熟練の結果、演奏技術の微細が心模様を反映する自然な動きとなり、真の音楽となり人の心を捉える音色となる”
と記した人がいるが言い得て妙である。
 ビブラートについても、やたらに使用するのではなく、ここぞという箇所に効果的に使用して音の深みや味わいを出したい。
 この曲で使用するビブラートの種類は、4種類の中で最もやわらかいビブラートである。弦を押さえる指の圧力を最大限に抑えて、弦を押さえた指の第一・二・三関節をリズミカルに上下に変化させるビブラートである。



○「二泉映月」を奏でる楽器 
 この曲は低音二胡の「二泉琴」(「二泉二胡」ともいう)で演奏されることが多い。
 「二泉琴」は「二泉映月」を演奏するために作られた楽器で、形は二胡と同じだが、琴筒は二胡より一回り太く、使用する弦も太くて二胡より5度低く調弦(内弦:G、外弦:D)している。
 二泉琴は弦が太い(二胡の内弦が二泉琴の外弦であり、その弦の倍の太さが二泉琴の内弦である)ので、二胡よりも弾きこなすのは難しい。
 弦を抑える指の幅も二胡よりも広く、弦を押さえる指の圧力は二胡以上に微妙さを必要とする。そして弓を弾く上でも力強さと微妙な力の入れ具合を必要とするのである。
 しかしながら、二胡は低い方が美しく響く。「二泉琴」が醸し出す低音の響きは深層、豊満で極めて憂いに満ちた音色なのである。


 
○「二泉映月」を聴く

1.二泉琴で奏でる「二泉映月」(伴奏:楊琴)

 最初に中国の名曲の数々を聴くことの出来る次のサイトをクリックして開いてください。

The Internet Chinese Music Archive 「Traditional Music」  ← クリック

 次に画面の中に表示された、「E19.Two Fountains Reflecting Moon.au」をクリックすると曲が流れてきます。 



2.中国の歌手・石莉娟が歌う「二泉映月」  ← クリックすると曲が流れてきます。



3.阿炳本人の演奏する「二泉映月」   ← クリックして画面が出た後、しばらくすると曲が流れてきます。

 この音は、1950年に阿炳が演奏した「二泉映月」を録音したものです。
 その演奏は当サイトを運営している二胡プロ奏者・馬高彦が言われているように、華麗さはなく自然な演奏が心を打つのです。




 「二泉映月」は、私が本来の中国式の指使い奏法に転換して取り組んだ111番目の楽曲である。
 この曲を奏でる時は毎回、神々しさのようなものを感じるが、第一音を奏でた瞬間からこの曲の中にとっぷりと入り込み、阿炳本人になったかのような心地で無心に奏でているのである。
 この曲を奏でられることは生涯の宝物を得た気持ちであり、今後とも、練習に練習を重ねて、人々に感動を与えられる音色となるよう、楽しみながら奏でていきたいと思っています。



 下の写真は、無錫市図書館前の阿炳銅像
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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
はじめまして。
天津在住で、二胡歴3年目に突入したあびのすけ★と申します。
曲の由来も何も知らないまま、聴いただけで目標としていた「二泉映月」でしたが
こちらのブログのご説明で、こういう曲だったのだとよくわかりました。

漠然と目標にしていただけなので、この曲のすごさを知った今では、
自分に弾けるか不安になってきましたが(苦笑)
ますます憧れは強くなりました。

わかりやすい記事をありがとうございます。

PS.当ブログの記事にこちらの記事のリンクをはらせていただきました。
事後承諾ですいません。不都合あれば、お手数ですが、お知らせ下さい。
あびのすけ★
URL
2011/09/16 03:26
 あびのすけさん、コメントありがとうございました。

 私の記事が少しばかりお役に立てたようで、嬉しいです。
 あなたのブログを拝見しましたが、「二泉映月」について上手く表現されていると思います。この曲の良さをできるだけ多くの人々に知っていただきたいですね。

 ところで、天津で「二泉映月」のレッスンを受けられているのですね。
 あなたの熱意と努力があれば必ずマスター出来ると思います。
 
 私もこの曲のレッスンを受けて、この曲を弾けることは無上の喜びであり大きな財産だと思っています。
 しかし、上手くなることに焦るべきではないと思います。
 私が二胡の発表会で「二泉映月」を演奏させていただいて2年が経過しましたが、その間も折に触れてこの曲の修練を続けています。
 そこで感ずることですが、2年前と今では雲泥の差だと自負しています。
それは、この間の二胡技術の多少の向上とこの曲を奏でられる喜びを胸に日々練習を積み重ねた成果だと思います。

 よりよい練習を積み重ねて行けば、必ず自分の「二泉映月」が出来上がります。
 お互いに焦らずに楽しみながら、二胡を練習していきましょう。

悠々寛大
2011/09/16 13:21

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